太刀川家は越後(新潟県)長岡から発し、2代目太刀川善之助が、明治維新に先立ち北海道に渡り、文久3(1863)年、米穀商を営み、そのかたわら、漁業、回漕業、採氷業などを始め、
函館駅一帯の土地の埋め立て、また伊達紋別を中心とした広大な土地の開墾なども手がけ、一代で財を成しました。その子息、初代善吉(3代目)は父の仕事を継ぎ、米穀・雑穀、海産物問屋を営み、
そのかたわら樺太や十勝の広尾で漁業を経営しました。明治41年、旧来の帆船ではなく初めて汽船「筑紫丸」を使い汽船漁業を展開。
また、函館では精米業を合併統一し精米株式会社を創設。その長男が2代目善吉(4代目)。明治17年生まれ、明治42年に名跡を継いで2代目襲名。 2代目善吉は、函館米穀同業組合長、函館日日新聞社長、函館商業会議所副会頭等々多数の要職を歴任。2代目善吉の後をその長男の善平(5代目)が継ぎ、昭和38年に善一(6代目)が継承しております。
住宅店舗は明治34(1901)年に初代太刀川善吉によって建てられた、間口約10米、奥行約13米の煉瓦積み土蔵造り2階建てで、内外とも漆喰塗りが施されています。 玄関は5間半(9.9メートル)と広く、その前に2本の鋳鉄製の円柱が立ち、ひさしの小壁には3つの半円アーチが連ねてあって、和洋折衷の建築様式が特徴です。 屋根は、寄せ棟造り瓦ぶき洋風のアーチを取り入れた塗り籠の卯建のついた関西風商家の建物です。 内部の木組は豪快で、十字に組み合わせられた60㎝以上の梁りげた、24㎝の角材を使った桂などが使われています。 明治の商家建築として昭和46(1971)年、国指定の重要文化財となりました。 in preparation